育児や家事をしていると、
「自分で考えて動いてほしい」
そんな言葉が頭をよぎったり、実際に言われたりする場面があると思います。
言う側は追い詰められているし、
言われる側も「やろうとしているのに」と戸惑ってしまう。
どちらが悪いわけでもないのに、気持ちだけがすれ違っていきます。
この言葉が難しいのは、「何をしてほしいか」ではなく、
「どのレベルまで一緒に担ってほしいか」が曖昧なまま投げられるからだと感じています。
この記事では、「自分で考えて動いてほしい」という言葉の裏にあるメッセージ、すれ違いが起きてしまう構造について、実際にワンオペ育児を経験して感じたことを交えながら整理してみたいと思います。
「自分で考えて動いてほしい」をめぐるすれ違い
「自分で考えて動いてほしい」と感じる瞬間
パートナーからこんなことを言われた時に「自分で考えてよ!」と思うケースが多いです。
- 「何をすればいい?」
- 「手伝おうか?」
- 「よくわからないから必要なことがあったら言って」
育児だけでなく家事も含めやることはたくさんあります。
そんな中、指示を求められる、判断を委ねられるというのは、さらに負荷がかかることでもあります。
ある意味、自分ひとりならタスクの分割に頭を使う必要がないのに、誰かにやってもらうとなると何を任せるのが楽になるかを考えなくてはなりません。
会社でも人に仕事を振るのが上手い人はそう多くないですよね。
それだけ人に任せるということは案外難しく、大変なことなのだと感じます。
「自分で考えて動いてほしい」と言われて戸惑う構造
とは言っても、パートナーに聞くことは悪いわけではないと思います。
自分の子なのだから責任感はある、何かして力になりたい、少しでも負担を分担したい。
こういう思いがあるのに、「自分で考えてよ!」って言われると、
- 自分は邪魔をしてしまっている?
- むしろ何もしない方がいい?
- わからないから聞いてるのに
- 自分で考えてやったら「やり方が違う」って言われそう
- 失敗した後のリカバリーを考えると先に聞いた方が良いと思ったのに
と受け取ってしまう可能性があります。
「自分で考えて動いてほしい」の正体
ワンオペ育児で分かった「自分で考えて動いてほしい」の正体
育児をやっている時、頭の中ではあらゆることに考えを巡らせています。
- ぐずぐずし始めたからもうすぐ起きそう
- 起きたらミルクの時間だ
- 洗濯物干したままだけど今の内に取り込むか
- 晩ご飯の買い出しも行かないと
育児だけでなく家事も合間にこなさなければいけないので、ミルクやおむつのことだけに注意を向けているわけではありません。
ここで「洗濯物取り込んでおいて」とお願いすることは可能です。
しかし、指示を出すというのはその時、その作業をやらずに済むので楽になる一方、段取りや判断の主導権を自分が持ち続けることでもあります。
いつまでも指示を出し続けなければいけないのは正直しんどいと思います。
つまり「自分で考えて動いてほしい」というのは、
作業レベルではなく考えること、判断することの負担も減らしてほしい
という気持ちの表れだと思います。
「作業」単位でやってほしいのではなく、家事育児の「運営」を一緒にしていきたいという感覚が近いのだと思います。
なぜ「どうすればいい?」が反感を買いやすいのか
「どうすればいい?」を聞くのがなぜ反感を買いやすいのか。
ワンオペで育児をしていて気づいたのは、
作業は減っても、考えて判断する役割を手放せていない辛さが残るということでした。
だから「自分で考えて動いてほしい」という言葉には、
「もう少しだけ考える役割を分け合えたら助かる」という気持ちが含まれているように感じます。
また、これはオープンクエスチョンなので、聞かれた側はゼロから回答を考えなくてはなりません。
目の前で子供が泣いている時に、家事育児分担について頭を切り替え、相手に説明するのはかなり大変だなと感じます。
なぜ「どうすればいい?」と聞くしかないのか
しかし反感を買うからといって、いきなりぱっと判断できるようになるわけではありません。
もちろん僕自身、初めからできたわけではないです。
初めは料理の作り方もわからない、そもそも献立なんて考えたこともありませんでした。
何とか1品作るところから少しずつ作れる品数が増え、冷蔵庫の中身を見て数日分の食材を買って調理できるようになっていきました。
育児でも同じです。
今でこそ「そろそろお腹空いてそうだな」「いや、これは眠くてぐずってるだけだな」と何となくわかりますが、
最初は看護師さんが作ってくれたミルクを飲ませる「作業」から始まりました。
退院後はミルク作りから飲み終わった哺乳瓶を消毒するまで、バタバタとやりながらできるようになり、
ミルクだけでなく他のことも失敗しながら覚えていきました。
当然ですが、一足飛びに自分で考えて判断ができるようにはなれませんでした。
なのでまずはどの「作業」をやればいいか、から始まるのだと思います。
「自分で考えて動いてほしい」と思ったら、「自分で考えて動いてほしい」と言われたら
「自分で考えて動いてほしい」と思った時、「自分で考えて動いてほしい」と言われた時。
お互いにもやもやした気持ちが出てきますが、それを言語化することで気持ちの整理がしやすくなるのではないでしょうか。
育児では思考や判断といった見えない負荷が高く、その責任を負う大変さがあるという認識を共有することが出発点になると思います。
「自分で考えて動いてほしい」と思ったら、相手が「作業」はできるなら、一部の思考や判断を委ねてみる。
結果、楽になることもあれば失敗することもあると思います。
ただ、僕は「失敗込みで任せる」という前提がないと、いつまでも作業だけの分担から抜け出せないように感じました。
逆に「自分で考えて動いてほしい」と言われたら、判断の負荷を減らすことを意識してくれる助かると僕は感じます。
もちろん最初からできるわけではないですし、僕も失敗しながら覚えていきました。
失敗してもリカバリー込みで最後までトライしたからこそ、
できること、わかることが少しずつ増えて、今の自分があるのだと思います。
まとめ
「自分で考えて動いてほしい」という言葉は、必ずしも“全てを察して完璧に動いてほしい”という要求ではないと思います。
作業だけでなく、考えること、判断すること、その結果を引き受けることまで含めて、
家事や育児を一緒に「運営」していきたいという気持ちの表れなのだと感じました。
一方で、最初からそれができる人はいません。
誰もが「作業」から入り、失敗しながら少しずつ判断できるようになっていきます。
だからこそ、「自分で考えて動いてほしい」と思った時に必要なのは、失敗も含めて任せてみるちょっとした勇気。
言われた時は、判断の負荷を減らすことも意識して、「どうすればいい?」を「おむつ替えるね」に変えてみる。
その積み重ねが、すれ違いを減らす一歩になるのではないでしょうか。

ではまた!
